ミニマリスト

エシカル ミニマリストになろう

エコとミニマリズムに目覚め、心身ともにより健康的な生活を目指しています

我流コンポスト

コンポスト生ゴミからの堆肥作り)は細々とトライをし続けております。

先日、コンポストキットを作っているLFCの会社代表たいらさんのオンライン講座を視聴する機会がありまして、最近ちょっと下火にしていたコンポスト作りをまた頑張ることにしてみました。

何よりゴミをへらせる。生ごみの水分を焼却するのはとても無駄なエネルギーの浪費になるそうです。そして減る過程を自分で確かめられる。肥料にもなる。日本の土地は痩せつづけているそうで、ささやかでも土壌を回復する機運につながったらいいなとの思いもあります。

 

以前調べたときは、大掛かりにすると臭いと虫に悩まされそうだし、市販のオシャレで簡単なコンポストは、入れられるゴミも少なそうで実用性が低いかなと感じてしまったので、わざわざ色々買うことはしていませんでした。

そんな訳で本当に我流でのらりくらりとやってみています。やり方はすごく簡単にしています。庭の空いてる地面の下と、空いている大きな植木鉢の二つを使って、深めに土に穴を空けてゴミを放り込み、また土で蓋をしておくだけです。これで本当に土の中の微生物が分解してくれるのかしらん。半信半疑で、虫が気になる時期はお茶殻とコーヒーかすだけにしていました。涼しくなってから普通の生ゴミも入れてみています。少し入れては日をおいて分解の程度を確認し、次入れる量を適当に推量していました。

確認の過程で土を掘り起こして空気を入れるので、分解速度を上げるのと臭い対策になるかなと思っています。

分解を良くするために、酸っぱくて使えなくなった漬物用の糠を入れた事もあります。酒粕とかもいいそうです。

 

隣近所が近いので、遠慮気味な量で気をつけているのですが、今までは真夏に小さい羽虫が少し飛んでいたくらいでした。もっと盛大に毎日のゴミを入れてもいいのかもしれませんが、変な虫が沸いたら困るのでいつも恐る恐るです。(本来は虫がいる方が分解されやすいので、決して悪者ではないのですが)

 

冬場は外に出るのが億劫で、しばらく放っていたのですが、、、

今回の講座の後掘り起こしてみましたら!秋に放り込んだバナナの皮がぺらっぺらの薄い紙のようになっていました。それ以外はほとんど跡形もなしです。

作業している間、まったく臭いはしなかったので安心しました。なにより見た目も全く不潔感がなくて、というよりほんとにただのフカフカの土になってしまっていて、すごく面白いです。

なんてかわいい微生物ちゃん。娘にも見せたらそれから私の口真似をして、ずっとそのように申しております。

 

たいらさんによると、土の分解力というのは素晴らしくて、残存農薬が多いと言われるバナナの皮を1ヶ月入れ続けたコンポストを後に検査してみたら、農薬は検出されなかったんだそうです。だからちゃんと堆肥として問題ないと胸を張れるのだそうです。

 

私の課題としては、どのくらいまで近所に迷惑かけず投入量をあげられるかです。冬場になってだいぶトーンダウンしたからな。ストレスを感じないためにはこのくらいの量で丁度いいのかも知れませんが、、。どなたかうまくやってる方がいたら教えてください。

 

たいらさんの会社でもアドバイザーの方がメールで懇切丁寧に教えてくれるそうで、今更ながらキットを買ってみようかなとも思っています。

またこの会社のサービスで面白いのは、たい肥としては必要ない家庭から、有機野菜を作っている農家にこのコンポストを送るという事業もしているところです。

彼女が力説していたのは、

「環境を考えた生活をするためには、半径2kmくらいの小範囲で社会を循環させるのがちょうど良い」

ということです。そうすれば輸送費もかからないし、例えばサスティナブル電力も送電ロスが少ないし、みんな「じぶんごと」として社会を見つめることができますものね。自分の作った堆肥で近所の農家さんの野菜がおいしくできて、それをまた自分が食べるような小社会、想像するととっても楽しそうですね。

 

lfc-compost.jp

 

気がつけば5年。

何をもってエシカル製品と言うのか、色々な視点があると思います。

服の裁断やデザインの過程で生じる残布を使った服とか、再生ゴムを使っているとか、農薬を使わないオーガニック栽培とか。

途上国の人件費を不当に安くせず、作り手の労働環境を守るフェアトレードとか。

上質な品質や丈夫な作り、飽きのこないデザインで長く使える製品であることとか。

 

消費者である私の立場から言えば、最後の丈夫で長持ち、そして自分のお気に入りになってくれるものが一番のエシカル商品だなあと思っています。

環境、人権保護を考えてる商品は応援したいところではあるけど、単なる浪費になってしまったら元も子もないですものね。

服や靴はやっぱりじっくり考えて、見て試して買うのが一番で、そういうものはちゃんと手元に残るものですよね。。。

(そうでない買い物の失敗も多々あり、ここは自戒をこめて😭💦)

 

ずーっと履いているアシックスの靴、買ったのはもう5年も前のことです。

買うきっかけは腰痛がひどくなったことで、ウォーキングして和らげようと思ったらますます悪化したため、コレはきっと靴が悪いんだと気づいたのです。足型測定をし、何種類もある中敷きの工夫で、自分にフィットした靴にしてくれるというアシックスの店に相談することにしました。

 

「うーん、あなたの脚は傾いてますね。」

「4Eなんて幅広の靴を履いてきたの?いえいえあなたの足は細いからEですよ」

初めからびっくりするような言葉の数々でした。

中敷き込みのトータルで3万円前後しましたが、

「靴底が丈夫でほとんどすり減らないため、むしろお買い得です。長持ちする分、靴の表面の傷が目立ってきてしまうから、傷つかないようメンテナンスするのが大事ですよ」と力説されました。

 

その靴を履くようになったら嘘のように腰痛が軽くなりました。すごいです。感激して腰痛や足の痛みに悩んでる人に事あるごとにお勧めし、購入した人はみんな良かったと言ってくれました。

 

そして今になって、お店の人が言ったことがよくわかります。5年間ほぼ毎日履いてるのに本当に靴底が減らないんです。そしてズボラゆえにちゃんとお手入れしなかったので、ハイ傷だらけになりました、、。でも手放したくありません。遅まきながらクリームを塗って延々と履き続けています。

あまりにも気に入ったので、その後フラットなバレエ型シューズ、ハイヒールも買い足しました。アシックスと言ってもオシャレ靴やビジネス用が沢山あり、デザイン性も高いのです。スポーツ靴はそのうちの一つといったところです。

結果、それ以外のこれまで買った靴は全て処分しました。ここまで思い切れるくらい素晴らしい製品です!

 

そんな訳で、靴に関しては迷走せず

「良いものを少しだけ、長く使う」エシカルミニマリストぶりを発揮できております。お勧めです。

 

余談ですが、二階堂ふみさんが紅白で、エシカルブランドであるステラマッカートニーのドレスを着ていてとっても素敵でした。こういうパブリックな場所でさりげなく自分の主張をするためのファッションって、すごくいいなと思います。

ただし、それと我々が日常で身に着ける品々というのは選ぶ基準が少し違ってくるとは思っています。

古着でエシカルなお買い物

最近Facebook でのやり取りで、古着をうまく使っている人が多いと知りまして。

私、古着には何となく今まで抵抗があり、でも理由の一つには

「なんかビンボー臭そう?」

「買ってるところ見られたら恥ずかしい?」

というのがあったなぁと思いました。

そこを、エシカル消費、サスティナブル消費だと考えると全く印象が変わりますね。

そもそも若い人の感覚では古着=オシャレ、なのでしょうし。

見方を変えればこんなにお得な事はなくて、安い分ちょっと冒険もできるし面白いかも。 でも街の古着屋さんを覗く勇気は無いし、、、ネットサーフィンしていたら、ZOZOのサイトでusedを取り扱ってるのを知りました。

例えば〇〇〇オフの店など行くと、いかにも玉石混交でうんざりしてしまうのですが、このオンラインショップは値段と質が比例していて、大まかな使用感、毛玉や汚れなんかも明記してあって安心です。欠点は返品できない事ですが、これは仕方ないかな。

使用感がほとんど無いもので、定価15000円くらいのモスグリーンのセーターを、6千円代で買ってみました。

良かったです。たまたまデザインも自分に合ってました。

でも服は試着して良く確かめないと、これまで何度も失敗してきたワタクシ。とはいえ試着すればするほど無難な選択になってしまって、つまらない買い物をすることも多かったなぁ。

本当に服の買い物は難しいです。正直この年齢と、ショートにメガネになってから自分に似合うおしゃれがよく分からないのも事実。

 ミニマリストになってからことごとく若い頃の服を処分して、一旦すごくシンプルなスタイルを良しとしていたのですが、それもまたつまらないものです。洋服のおしゃれはしばらく迷走が続きそうです。

 

古着、街で探すのに抵抗があったら、オンラインショップをのぞいてはいかがでしょうか。私のように迷走中の身でも色々試せて良いかもしれません。

 

失敗込みで買うのなら、やはり自然素材がいいですね。そのあと掃除や小物作りに使えるし。ぽいぽい捨ててしまったらサスティナブルとは言えませんからね。

(やっぱりビンボー臭いと言わないで、、。)

2020、謙虚に振り返り、さあ2021

2020,特に後半戦は仕事仕事でございました。

でもやるべき仕事があって、きちんと報酬もいただけて、人に感謝されて、勉強にもなる。ありがたいことでした。

家族も自分もみんな健康で、のほほんと暮らしてくれて、それも感謝です。

夫は意外なことに、私が仕事のあいだ全面的に家事を引き受けてくれ、こんなにありがたいことはありませんでした。


私は家族の中でひとり、サスティナブルとかエシカルとか悶々と考えてますけど、これからはもっと自分の想いをオープンにしていきたいです。家族にはもちろんですが、もっと周りにも。でも決して独りよがりや傲慢にならないようにしたいと思います。

どんな生活にも理由があり、想いが有るのですからね。

自分のやり方を押しつけるのではなく、かと言って隠したり我慢したりするのでもなく、また、自分のやり方と異なるからと言って誰かを否定したり批判したりしないよう気をつけたいです。

私はこうしたいんだけど、あなたはどう思う?と対話をしていきたいです。

そんな感じを2021年ではより深めて行きたいです。


エシカルな人を増やしたい

日本エシカル協会、ご存知でしょうか。

私が環境問題に目覚めたきっかけは、末吉里花さんの「はじめてのエシカル」という本でしたので、この方の携わっているエシカル協会でいつかはさらに勉強したいと思っていました。

何となく時間の余裕がなく、この秋からやっと、その協会が主催している「エシカルコンシェルジュ講座」というオンライン講座を聴講し始めました。

環境問題において、固定観念からさらにglobalで事実に基づいたものの考え方をしていくことについて、

エシカル消費について、

地球環境を考えながら若者の視点で社会を変えていく活動をしている学校について、

これからのサスティナブルな電力について、

などなど内容は多岐に渡ります。今後は

エシカルな生き方について、エシカルな社会活動について、といった大きなテーマについて学べるような内容で、楽しみにしています。

まだ前半だけ聴講した段階ですが、色々と感じる事が多いです。

やはりエコとか環境保護活動は、自分一人で満足していてはいけない。

何かしら(小さな事でいいから)、周りの人や社会に発信することが大事。

これからの地球の未来を考える人をどんどん増やさなくてはいけない。

自分の実生活(仕事を含めて)を、自分の信条とリンクさせる生き方をしたい。

ということを強く感じます。


今の私が出来ることは、本当に小さな事ばかりです。

例えば、お気に入りのお店に、プラ削減やエシカルな生産方法を希望する投書をすること。

環境保護に留意したお店を応援するために、そこから買い物をしたり、友人に勧めたりすること。

例えば電力会社をサスティナブルな発電をしているところに変更すること。平飼い卵など環境を考えた生産をしている品物を買うこと。それを他の人にも伝えること。


最近この講座のfacebookグループに入りました。facebook初心者なのに、実名投稿が楽しすぎ、投稿多めです(笑)


さてこのブログの立ち位置をどうしたものか、悩み中です。

めちゃくちゃプライベート感満載で、自分としては公開日記のようで楽しいんですけどね。

続 ストレスの波を乗りこえる

 しまった。前回のブログ、下書き保存ボタンを押したつもりが、公開ボタンを押していたみたいです。

変なこと書いてなくて良かったー(笑)

というわけで続きです。

 

ケリー•マクゴニガルという心理学者の著書が好きです。

 彼女のこれまでの著書はいくつか持っていますが、今回ご紹介する本は彼女の研究の集大成のように思います。以前は、ストレスは適度に受け入れてとにかくがんばろ〜!的な、今どきの若くて活発な、先進国に住む人の観点だよな、という感じもしたのですが。

今回はもっと踏み込んで、近しい人の死などと言った究極のストレス下にあっても、人はそこから回復できる、成長できる、といった祈りのような深い内容にもなっています。

 3万人のアメリカ人に、

「この一年でどれくらいのストレスを感じたか?」

「ストレスは健康に悪いと思うか?」

の二つの質問をします。そして四つのグループ、すなわち

1.ストレスが多く、ストレスは健康に悪いと思っている

2.ストレスが多く、ストレスは健康に悪いと思っていない

3.ストレスが少なく、ストレスは健康に悪いと思っている

4.ストレスが少なく、ストレスは健康に悪いと思っていない

に分けます。

1.2をあわせた群は、3.4をあわせた群より死亡リスクが43%も高かったそうです。そうか、ストレスはやっぱり多い方が良くないのかー。

いえ、そうではないのです!四つのグループに分けると、もっとも死亡リスクが低かったのは、2.の群だったのです。

 

例えばストレスを害だと感じる人は、

•ストレスに向き合おうとせず、ストレスの原因をなるべく考えないようにする
•ストレスの原因に対処しようとせず、ストレスを紛らわそうとする

•ストレスを紛らわせるために酒などに逃げたり依存したりする

•ストレスの原因になっている人間関係や役割や目標に対して、努力したり意識を向けたりするのをやめる

傾向にあるそうです。一方、ストレスには役に立つ点もある、と考えている人の多くは

•強いストレスを感じる出来事が起きた事実を受け止め、現実として認識する

•ストレスの原因に対処する方法をしっかりと考える

•情報やサポートやアドバイスを求める

•ストレスの原因を克服するか、取り除くか、変化を起こすための対策を講じる

•困難な状況をなるべくポジティブに考え、成長する機会と捉えることで、その状況において最善を尽くす

といった行動をとるそうです。ものの捉え方はその後の行動に大きな差がでる、そのために結果が変わってくるのです。ストレスを多く感じつつも、それを克服しよう、成長しようという取り組みの結果、ストレスのない人よりもより良い人生が開けるということなのでしょうか。

 

それでも先進国に住んでいる我々だから対処の仕方が分かるのでは、、という思いがあります。

彼女は次のような、非常に示唆的な調査結果も紹介しています。

ギャラップ世論調査で121カ国、12.5万人へ「あなたは昨日、大きなストレスを感じましたか?」という質問をしました。国ごとの割合に非常に差があり、アメリカは43%と平均より高く、最上位はフィリピンで67%、最下位はモーリタリアでわずか5%でした。

社会情勢との関連を見ると、ストレス度指数の高い国ほど、繁栄度が高く、国民の幸福度や人生に対する満足度も高いことが分かり、ストレスを感じている人が多い国ほど、健康、仕事、生活水準、地域社会に満足しているという結果でした。

モーリタリアのように貧困や飢餓が蔓延し、汚職や暴力が横行する国の人々は、必ずしも自分の生活はストレスが多いと思っていなかったのです。ストレスの感じ易さは、客観的にみて明らかな社会的悪条件とは一致しないようです。

私の感想。

ストレスを糧にできるような繁栄した国だから、そのような結果になるのか。

ストレスを糧にできないような社会的状況にあるから更に悪条件になっていくのか。

それだけではなく、ストレスをストレスと感じない感覚鈍麻にあること、「どうでもいい」と考える荒んだ風潮こそが悪条件を招くのか。

すごく考えさせられたのですが、差別的な思想になってはいけないので止めておきます、、。

 

医療従事者や聖職者、教育者のストレス対応に関する研究も紹介しています。彼らはある意味で

「感情をシャットダウンして、相手の痛みや苦しみ、死には冷静に向き合うように訓練されている」のですが、これはストレス緩和に良い方法に見えるけれども、仕事に充実感を見出す為には障壁になりかねない。そうではなくて、

「苦しみに巻き込まれるのを避けようとはせず、苦しみの中にこそ意味を見いだせることを受け入れる」

という方法を実践してもらう。医師を対象にそういう実践的な講義を行うのに加え、お互いの苦しみを語り合う機会を設けたところ、参加者たちのバーンアウトの症状は著しく緩和されたそうです。

 

うーん、これ、キッツイなあ。私も「相手の苦しみに巻き込まれない」ように自分を訓練してきたので。私は、半分は感情的に共感すること、そしてもう半分は客観的、俯瞰的な冷静さを保つように訓練してきました。正直こんな事を人にわざわざ話したくない。私も長く働いてきて感覚鈍麻に陥ってるのでしょうか、、。

一方、多職種カンファレンスでスタッフそれぞれが思いを述べる機会がありますが、これって患者さんのためだけでなく、スタッフが意欲的に働く糧にもなるのだなぁ、そういう機会をこれからも大事にしなくては、という事は感じました。

 

ストレスの多い金融業界は、不眠症、アルコール依存、抑うつなどの症状を呈する人の割合が著しく高いそうです。彼らを対象に、

「ストレスは体の回復力を向上させ、集中力を高め、人との結びつきを高め、個人の価値観を強化するのに役立つ」といった内容のオンライン講座を受けさせ、困難な状況を乗り越えた企業や、大きなストレスを抱えながら見事な業績を挙げた人々を紹介します。

この講座を受けた人は、そうでない人に比べ、その後の不安症やうつの症状は減り、集中力、仕事への取り組み、仕事の生産性に向上が見られたそうです。たった一度か数回のマインドセット(思考を良い方に改めること)で状況に変化が現れるのですね。

 

紹介したい内容が多くてとりとめがなくなってきましたが、本書を読むと更に沢山の事が書かれてあり、自分の生活にも反映できそうなことが多いです。長くなってしまったので、私の最近のストレスに対するもっと気軽な「マインドセット」については後日また書きたいです。

 

 

ストレスの波を乗りこなして、前に進む

ストレスって言ってしまうと、なんだかイライラした否定的な響きがありますよねえ。

私にとって何がいわゆるストレスなのか考えてみますと、

『やるべきタスクがありすぎて、頭が混乱している』

『自分の能力を越えたヘビーな仕事に取り組んでいる』

ということが多いです。

ストレスと言わず、そのように具体的な言葉にすると、その解決策も少しずつ見えてくるような感じはありますね。

1-2週間前まで正にその状態にあり、でもよく考えてみると

「そのような状態にある」時ではなくて、

「その状態になることを考えると気が重くて前に進めない」

時間こそが真のストレスのようです。

ですからとにかく動いちゃえばいいんですよね。えーい、と飛び込んでみる。




好きでした。そして今も。

 大好きなギターと歌手のデュオがいたんです。

でも何故だかバンド名を忘れてしまって。よく聴いていたアルバムは処分してしまい、確かめようもない。

ずっと心に引っかかっているけど、いつもは忘れている。ところが夜中まで仕事で作業をしてる時なんかに、突然思い出してむくむくと聴きたい気分にかられるのです。

この間も仕事の合間にどうしても彼らの曲が聴きたくなり、家のPCをあちこち検索していました。

そしてやっとバンド名がわかりました。

fried pride といいます。

 

私の黒歴史?なんですが、若い頃私はジャズボーカルをやっていました。アマチュアにしてはちょっと上手かったみたいで、バンド仲間にチヤホヤされてた時期がありました。

そりゃまあ、楽しかった。でも心の中では何となく、私の居場所じゃ無いような、早く人生の次のステージに移りたいような、いつも宙ぶらりんのふわふわした毎日を送ってました。

 

fried prideのジャズもよく真似していたので、彼らの音楽を聴くと否応なしにその頃の自分に戻っていく感じがあります。懐かしいけど、楽しいけど、孤独で寂しくていつも途方に暮れていたあの頃に。

 

普段私は過去を振り返ったり懐かしがったりしない方なのですが、最近はなぜかメランコリックな気分になることが良くあります。

秋のせい?歳のせい?嫌だわー。

 

今聴いてもカッコ良かったです。ヴォーカルの方は私より年下のように見えたけど、彼女も彼女の人生を歩んで今はすっかり大人の女性なのだなあ。

YouTube で歌う彼女を見て思いました。

ジャズは人生経験を積んでからこその円熟味が良いですね。

 

 

 

 

 

 

 

不思議な夢

小さなコミュニティの中の、小さな家。周りには自然が広がっていて、紅葉の山々もすぐ近くに見える。

屋根はモスグリーン色。

壁は薄いペパーミントのタイル。

空気孔の小さな窓が二階に並び、それらはブルーのタイルに縁取りされている。

ガレージの中に小さなツリーハウス。この屋根は空気孔の窓につながっていて、そこからひょっこり顔を出すと広々とした青空を一望できる。

 

ガレージには沢山の日用品。息子が憧れの、電気工具やら部品やら改造中の自転車やらも置ける場所。ガレージだから多少汚くても気にならない。

リビングの窓には白い木の窓枠。出窓。小さな陶器の人形や動物。ワイヤーで形作られた小さな置物のブランコや自転車。

 

窓から見える沢山の木々。草花。抜けるような青空。

 

この家を設計したのは私だけど、ほとんど夫が細かいところは詰めたらしい。内装が可愛いツリーハウスは夫の手作りらしい。花柄のカーテンまでかかっている。まだ幼い娘が嬉々としてツリーハウスの梯子を登る。

 

みんなすごく幸せそう。息子が「この家、みんなの夢が全部叶ったね!」と喜んでいる。

 

この辺りからだんだん私は目覚めてくる。ガレージなんて、私の家に作れるような広さあったかな?私こんなに少女趣味の家が好みだっけ?

 

すっかり目覚めた昼間になっても、この夢の情景についてつれづれと物思いにふけっている。こういう生き方もあったのかもしれない。田舎で暮らしながら、のんびり家族の幸せだけ考えているような生活が。

私の得たものと失ったもの。家族が得たものと失ったもの。

夫婦の仕事のキャリアとか、子供の教育とか、生活の便利さを考えて今の生活を私は選んでいる。最近までそれに疑問を感じたことなど殆どなかったけれど。

そうなんだけれども。何だかセンチメンタルな気分になって涙が出そうになる。

 

せめて子供たちとはいつも笑っていよう。夫とは仲良くしていこう。最近単身赴任中の夫とのコミュニケーションが怠りがちだけど、もっと連絡し合わなきゃね。最初の頃みたいにまたzoomしながら夕食を食べようかな。

 

ワーキングマザーよ、ストレスを自覚しよう

先日ようやく整体に行くことに致しました。

整体って、今まであんまり良いイメージが無かったんです。玉石混交で理論がわかりにくくて、ホントに効くのか懐疑的で、お金ばかりかかるという印象で。

しかし最近肩こりや体のどうしようもない重さが続き、何とかしなくてはという衝動に駆られて近所の整体院に駆け込みました。

ここがホントに、良かった。

何が良いかって、頸椎のココがズレてるから筋肉がひっぱられて痛むので、こういう風に直していきましょう、と明確な見通しを示してくれた事です。

通常のマッサージに加え、カイロプラクティック的な脊椎の歪み矯正と、鍼をやってもらいました。1日めからびっくりするほど体が軽くなりました。

整体師さん曰く、私の体は相当ヤバい状況で、よくこんな体で過ごしてましたね、とのこと。実は子供の頃から肩こり症で、、と言ったらびっくりしつつも納得され、もしかして体育苦手でした?本読むの好きでした?と図星のことを言われました。

はじめはすぐに歪みが元に戻ってしまうから何度も来た方がいいと言われ、8回分3万円強のチケットを買い、二日続けて行き、今後も週二回は行こうかと計画しているところ。自転車で五分という場所なので、例えば夕食後にふらっと行けるのもありがたい。

以前の私なら、うわー高いお金払っちゃってハマっちゃった?大丈夫?と言いそうな状況になってます。でもホントに辛かったし、それを一瞬で軽くしてくれて、今後もさらに良くして行きますよ、と言われたら、「ついて行きます!」てなっちゃうよね。

よくスポーツ選手や芸能人が整体師の人に身も心も預けちゃって、ハタから見ると奇異な感じの関係性が見られるけど、こういうことかー、と分かるような気もしました。

さて、今回保険も適応になりますと言われてホイホイありがたがってしまいましたが、これって医療保険では問題になってる医療費申請の乱用に近いんですね、考えてみたら。

あとwikipediaで整体について調べたら、まさに玉石混交の実態が色々と書かれていて、正しく使うのが難しいことは確かだなぁと思いました。

頑張ってくれる整体師さんを信頼して言うことを聞くようにしたいけど、一方で金銭とか時間とかに関しては冷静になりたいと思います。

 

閑話休題

マッサージ中は問わず語りに色んなことを喋っちゃう状況になるのですけど、自分で言いだして納得してしまったのが

「いやー、働く主婦って、本当に疲れてるんですよ」

ということ。

整体師さんにも、

「その通りです。だって職場でも働いてて、家でも働いてるんですからね。どっちも前屈みになる体勢なんで、首や肩が疲れるんです」と即答されました。

 

そうか。そーなんですよ皆さん!!

ワーキングマザーの同志よ、ストレスを自覚しましょう!!

 

もう一つ会話していて印象的だったこと。

「今まで肩こりの無い日が無いくらいだったんだけど、今後全く消えるって日が来るのかなあ?」と聞いたら

「軽くすることはできますよ。でも今の生活変えない限り、肩こりが無いって状況は無理ですねえ。仕事か家事を辞めないと。」

ですって。やっぱり仕事やめよっかな!!

 

言っておきたいのですが、仕事にやりがいはあるのです。仕事は精神的なストレスではなくて、単純に体力的なストレスと、時間が無くて余暇が取れないというストレスだけなんですけど。やりがいとストレスというのがどうも比例している最近の状況、やはり辛いです。

 

今まで、家事も仕事も人の6-7割しかしないようにしてるしー、適当にサボって精神の安定も測ってるし、私大丈夫じゃない?と思うようにしてたのですが、そうでも無かったかも。実はかなり不健康だったかも。そしてそれを人に指摘してもらうって大切かもしれません。

 

もしかして、極度に家事をミニマムにしたがるのも、無意識にストレスを減らそうとしているからだろうな、そうでなければモノに囲まれながら楽しく生活する事もできたのではないかなあ。と様々に思いを巡らせております。

 

 

 

ゴミが出ない新たなルーチン家事

この夏、暑さにくたばっていたのと、職場の仕事量が増えたことで、エコ活を少しトーンダウンしてました。

このブログに勇んで書きつづけてる時は良かったんだけど、だんだん自分の首を絞めてる感じがあり、そして自分が良かれとして行なっているエコ活動が、トータルで本当に正しいことなのかよくわからなくなってしまった感もあり。

 

以前このブログに書いたものの、続かなかった事を白状します(汗)。

プラスチック包装を使わない店に行くために、あちこちの店へ自転車をキコキコしてる時間的余裕は私にありませんでした、、。それこそ車を使ったら本末転倒だし。残念ながら個人の店に通いつづけるのは挫折いたしました。

プラスチック容器を買わないためにマヨネーズやケチャップを作る、というのも続きませんでした。ルーチンでやるには結構めんどくさいのよ。キッチンよごれるし、排水も汚しているわけで。

やっぱりプラスチックを使わないゼロウェイストのお店が増えて欲しいなあというのが本音です。消費者にムダな努力をさせるなと言いたい。

 

さてそんな中でも、この夏から新しいエコ家事をルーチンに取り入れることができたのでご紹介します。さらば不織布!です。ただのズボラ家事ですが、時間のない中で効率よくできる、という観点なのでどうかご容赦を。

 

•台拭きを、やっと使い捨てじゃなくしました。

恥ずかしながらズボラなわたくし、台拭きを干す、という作業が中々出来なかったのです。そうすると当然しけ臭ーくなりますよね、布巾が。それで使い捨てが常態化してしまい、ストックの古い布が無くなると、洗えるキッチンペーパーを買ったりしていました。エコ活動している中で、どうしてもこの不織布を減らしたくなり、なんとか考え出すことができました。

それは布巾を使ったら、キッチンに過炭酸ナトリウム(酸素系漂白剤)を水に溶かした容器を用意しておき、それにすぐ漬けるということなんです。布巾は真っ白になり、しかも除菌も消臭も同時にできてるので、そこからさっと洗ってまた使えるのです。塩素系のような強烈さはないし、清潔に何度も使えてとても良いです。

お気に入りだった麻のズボンのお尻が薄くなってしまい、裾を切って布巾にしてから、この数ヶ月ずっとコレにしています。丈夫な麻なので全くへこたれません。何だかつましすぎる小さな自己満足ですけど。

 

•床掃除を高性能の布雑巾にしたら、モップにつける不織布も必要なくなりました。

モップに取り付ける使い捨ての不織布は、手軽ですけど勿体ないですよね。ドラッグストアで何の気無しに買った「ゲキ落ちくん」シリーズのマイクロファイバー雑巾、コレは買いでした!!

 レック 激落ち マイクロファイバー ぞうきん 5枚入

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  • 発売日: 2013/09/10
  • メディア: ホーム&キッチン
私は毎回濡らしてモップに取り付け、家中の床を拭くことにしてます。掃除機も乾拭きも無しで、これだけなので結構ゴミが絡まりますが、濡れているのでうまくゴミがよれて取りやすいのです。フカフカの布雑巾なので、モップでゴシゴシするとこびりついた汚れが取れやすいのもマルです。この方法にしてからホコリが出にくくなり、家族のアレルギー症状も減った気がします。
雑巾の汚れは水洗いだけで綺麗に落ちます。 5枚もあるのでどんどん洗って取り替えられるし、気軽に掃除できて良いです。細かい繊維が出てくる感じも全くないので、一応排水にマイクロプラスチックが流れてる心配は少なそうです。

頭痛とストレスの解決法

最近とにかく疲れやすくて頭が痛い。

理由ははっきりしていて、夏頃から仕事が多くなり、パソコンを使う頻度が著しく増え

、またこの職場のパソコンが頭にくるほど使いにくく、あっちこっちに目線を移す必要があって疲れやすいのです(怒)

最近コロナ鬱とか精神不安のニュースが多くて、普段のほほんと生きている私もその気持ちが分かるような今日この頃です。

 

こういう時は頑張らないことに決めております。

若い時、青年期鬱みたいな状況だったことがある私は、今や鬱々とした状況からどう抜け出すかにおいては割と対処が可能になってきている感じがあります。

とにかく頑張らない。

刺激を増やさない。淡々と過ごす。ぼんやりする。サボる(許される範囲で)。

思い詰めたり、悩みのループには陥らない。この状況はどうやったら改善に向かうかな?とひたすら今後について考える。

 

つい先日有休を取りました。その日何をするか、何日も前から色々考えて楽しみにしてました。

やった事は、庭のリフォームについて業者と連絡とったこと。映画を見に行ったこと。メガネを作り直したこと。

それだけなんですけどね。ずっと気になってたので行動できて良かったです。

ともかくは仕事からまるっきり離れる時間って大切だと思いました。

 

ストレスを解決するために、今後具体的にどうして行こうかと考えるのも良い対処法です。

私の人生は私のものですから。職場とか、世間体のためにあるわけじゃ無いので。そう思いながら、これからどういう仕事をして行こうかな?どういう生活を送りたいかな?とぼんやり長い時間かけて考える(妄想する?)のが好きです。

最近はパソコンのストレスが思った以上に辛いので、将来電子機器から離れた仕事の仕方、て出来るかなあと妄想中です。

いつも、あと数年したら仕事の責任も果たせるだろうし、それからどうしよっかな?、と考えるのがすきなのですが。

そういう将来の話とは別に、今の現実問題として職場のパソコンの使用法をなんとか改善したいです。あきらめずに、、。いやしかしこっちはハードルが高くてやる気が中々起きない、、。

 

最後になっちゃったけど、私の頭痛対処法は、

「こめかみに生姜のスライスを貼っつける」です!

見た目の問題あり、家の中でしかできませんけどね笑。

下の本に載ってました。よく読ませてもらっているブログに民間療法を色々と載せてる方がいて、憧れているんです。あとは昔ながらのおばあちゃんの知恵的なのも大好きなので、この本はとってもよかったです。

 

 

 

昆虫食はソウルフード?

昔々私が子供の頃、遊び場の一つにススキが沢山生えている空き地がありまして。

秋になると大群のイナゴがブンブンしておりました。

ある時その話を家族にしたら、

「じゃあいっぱい採っておいで!佃煮にしてあげるから」

と言うのです。

私の住んでいた、そして今も住んでいる地域は東京のベッドタウンと言われる住宅地です。そんな所でも昔は色んな生き物がいました。春はおたまじゃくし。夏はカエルの大合唱。秋にはイナゴをしょっちゅう捕まえて、男の子は腹を引きちぎっては「解剖〜」と遊んでいましたっけ。

何しろブンブンしていますから、採るのは容易いことです。友達と面白がって袋いっぱいに持ち帰りました。

そのまま袋の中で窒息死させます。その過程で腸の中身も外に出て良いのだそうです。すみませんグロテスクで、、。

数日後、イナゴはそのままの形で茶色い物体としてお皿の上に鎮座していました。ひょえー。

でもせっかく家族が作ったのだから、と目をつぶって食べてました。いわゆる甘露煮の味です。「目をつぶれば美味しい、、」とかなんとか言いながら食べた記憶があります。

 

ものすごく鮮明な、しかも一度ではない思い出なのです。この話を先日母にしたら、

「何それ?私そんなの作ったこと無い」

とのたまうではありませんか!じゃあ作ってくれたの誰なんだ?!

恐らく今はもう亡くなった私の祖母が、家に遊びに来たときに作ってくれたのではないか、との結論に達しました。祖母、母は長野の出身です。

長野の方はご存知なのではと思うのですが、この地区は海が無く、畜産も難しい土地だったので、古くから虫をたんぱく源にする文化があったそうです。有名なのは「はちのこ」と言う蜂の幼虫です。こちらは私は食べたことがありません。

イナゴを食べるのも普通のことだったようですね。クックパッドで調べたら、レシピを公開している方がいました。

cookpad.com

最近は畜産にかかるエネルギーが膨大なので、生産コストが著しく低い昆虫食が注目されていると言います。でも昆虫食って、そんなわけで日本の山間部に暮らす人にとっては珍しいことではないのですね。

人間はしたたかですから、将来牛や豚が食べられなくなっても、いくらでも食べるものを見つけられる生物なんじゃないでしょうか。人間の遠い未来の暮らしなんて想像のはるか彼方だけれども、意外にびっくりするような形で地球とバランスをとって生きながらえているのではないか、、。イナゴの佃煮を思い出しながらそんなことを考えるのでした。

 

山小屋再訪、そして思うこと

この連休中、息子と私で山荘を再訪しました。娘はお父さん送迎で友達とディズニー。
今回は、今後のために近くの宿も開拓しようとペンションに父母と一泊し、この先この土地と家をどうするか話をしました。

父の山荘は高原の中の小川の岸辺に立っています。以前から父母には言われていた事ですが、実は色々とこの家にも悩ましいところがありまして。

まずその一画に入るために、小川を跨ぐ土手を通るのですが、川の水が増えて来たのでこの土手がしょっちゅう決壊する。その度に(中に水道管が通っているので)水道局に来てもらって直しているとのこと。
そしてここが非常に大事なのですが、この家の上の林が最近どんどん切り開かれてしまい、山の保水能力が落ちてしまっているようなのです。そのために川に直接流れる水が多くなり、川の周辺が所々崩れて来ているのを見かけます。いつかはうちの周りも?と思うととても恐ろしい。水の流れは今のところ別のルートを行っているのが救いではあるけれど、、。
なぜ林を切り開いているかというと、恐らくみんな太陽光発電用なのです。数年前からあちこちの空き地で広大な太陽光発電用のパネルが並ぶ光景が見られるようになりました。山のふもとの高原で地形がなだらかなので、設置が楽なのでしょう。
空き地なら分かります。でもなぜ林を切り開いてまで、、。俯瞰的な視点で見たらこんなばかげた事はないと思う。こんな発電の仕方でもエコだのSDGsなどというのでしょうか?
でもきっと、今の山林管理は総じて人手が足りず、割りに合わず、過疎化高齢化もあって立ち行かないのだろうと察しもします。
 
芸人の「ヒロシ」さんが一人キャンプを極めるため、山を購入したというネット記事がありました。記事もそうですが、実際に山を所有している人たちのコメントが興味深いです。山林は管理がとても大切で、木々を定期的に伐採し、下草を刈らないと光が入ってこないので、木々が育たず土地が痩せてしまうのです。山と言うほどでは無いけれど、父はそういう作業が好きでこの土地を手に入れたのでしょう。こういう場所を所有する悩みは私にも分かるところが多々あり、コメントをしばし読みふけってしまいました。
コロナ騒ぎと、リモート推進が後押しし、そしてまた夏の酷暑も年々ひどくなるため、私のように田舎暮らしに憧れる人は増えていくのではないかなあと感じています。でも、でも、、周辺の山林の管理まで正しく行っていこうと考えている人はどのくらいいるのでしょうか。
山林は全面的に国が個人と管理を折半すべき、という意見もあるようです。それは勿論のことですが、山の達人のような土着の人たちはスキルを教えて、都会からの避暑目的の人たちは労力を貸すような形で、お互いの立場で山の保全を進めるような機構は作れないでしょうか。健全な山あってこその山の安全、山の涼しさなのですから。また私の妄想癖が始まりました、、。
 
家も相当がたがきており、数百万円かけてリフォームする事になるかもしれません。別荘暮らしってホントに金持ちの道楽ですね。しかもちっともエコじゃない。山の中は湿気が多く家が傷みやすいので、補修、交換は日常茶飯事だし、湿気を取るために一年中除湿機をかけることになりそうです。田舎暮らしは車生活が基本になりますし。
そもそもエコの概念って、都会のシステマティックな暮らしの中でこその概念のような気もします。そうでなければトレーラーハウスなんかで暮らしながら、オフグリッド、水源は川、排泄物もコンポスト、みたいな生活。どこにいても便利で快適に過ごしたいとなると、都会が一番エコに暮らせるのかもしれません。
いやはや私は何をしたいんだか、自分の将来を考えると色々と悩ましいです。まあ、山荘に関しては父のものですから、父が好きなようにお金を使って好きな事をしてくれればそれでいいと思います。健康と事故、災害にだけは気をつけて。私の代になったらどうしましょう。こういうことが好きそうな息子とよく考えていきたいです。
 

山の暮らしと生物多様性

父が持つ山の家は、ちょっと車を走らせればすぐ観光地になり、格別に人里離れたところではありません。

それでも、私たち親子が住む住宅地とは違う生物が息づいていることの不思議さを感じます。


まずはそこかしこにブンブンしている蜂、アブ、名前もよくわからない様々な種類の蝶や蛾のたぐい。


美しいと言ってしまいたくなるような薄緑色の蜘蛛。


ひまわりの種を置いておくと、はじめは警戒心たっぷりに、そのうち図々しいほどに慣れて餌をついばみにくる山雀(ヤマガラ)、四十雀、五十雀、、、。


極め付きは家の中に迷い込んでしまったヤマネ! ネズミににていますが、リスのような小ささと愛らしさです。迷ってしまった本人もこちらも大騒ぎとなり、家族総出で彼を追いかけ回すこと数分。可愛らしい短い脚でチョコチョコ逃げ回り、ジャンプし、ようやく玄関から出て行ってくれました。

父は鼠捕りを持ち出していましたが、引っ掛からなくて良かった、、。息子によれば、捕獲だけでも罰金もの、殺してしまうと懲役に課せられるような天然記念物だそうです!(誰かが訴えればね、、笑)


以前来た時は野生のテンも見かけました。父は猪やカモシカに遭遇したことがあるとか。さすがに見たことはありませんが、熊に出くわさないよう我々の外出時は鈴付きです。


大自然の中で過ごしていると言い知れぬ恐怖も感じます。電気を消せば漆黒の闇。おおきな野生動物に出会ったらどう対処したら良いのか?何かあった時には誰に助けを呼ぶのか?


山里に住んでいる人には当たり前の風景、当たり前の感覚なのでしょう。でも、私にはすごく刺激的で、大げさですが正に生物多様性を肌で感じる思いでした。

人間なんて、当たり前だけどこの自然の生物の一つに過ぎないし、そこには自然の持つ危険や脅威も存在しています。近代社会の便利なバックグラウンドが無い時、丸裸の人間はなんと小さく無力な存在である事でしょう。なんだかすごく謙虚な思いに浸ってしまう山の生活なのでした。